2012.5.31
中国出張から戻ってきました。
長春から大連に移動する飛行機が遅延して4時間空港で待たされた挙句の果てに、その便がキャンセルになって長春でもう一泊することになりました。100人ほどの人が足止めを食い、航空会社の対応に不満を持った人たちが、スタッフと言い争う場面もありました。
事前に遅延時間を知らせてくれた人がいて、ゆっくり本が読めると高をくくっていましたが、さすがに日をまたぐ時刻になるとぐったりとしてしまいました。
3時間ほどの睡眠でしたが、幸いにも早朝臨時便が出て、予定した仕事の8割方はこなすことができました。懸念していた教育センターも6月1日から新体制になると聞いて、予期せぬタイミングに疲れも吹っ飛びました。責任者の方が熱心にメモを取りながら私の話を聞いてくれたことも大いに励まされました。
おまけに、今年中には大連から長春を2時間半で結ぶ新幹線が開通すると聞いて、やったー!!
極めつけは、帰国後事務局スタッフから、理事長が今日帰国すると言ったら、一ヶ月講習を受けている実習生に、「成田に迎えに行きましょう」と真顔で言われたと聞いて・・・・・・・・・・やっぱりこの事業はやめられないのです。
2012.5.10
新規受け入れ企業だということもあってか、在留資格取得に時間のかかった実習生が入国しました。通常の事前講習修了から少し空き時間があって、日本語力にも不安がありました。しかし、閉講式終了後にはその心配は払拭されました。
いつものように、NLPを使って目標設定の講習をしました。
「あなたは3年間で何を学んで中国に帰りたいですか?」
「日本語、技術、日本人のマナーや考え方、生活習慣・・・・・・・。」
「そして、それが習得できたらどうしますか?」
「自分が成長したいです。」
「そしてそれができたらどうしますか?」
「日本のよいところを中国人に知らせて中国の発展のために役立てたいです。」
いくらお金を稼ぎたいかが先に出てくることが多い中で、今回は最後までお金の話が出てきませんでした。
比較するには強引すぎるかもしれませんが、先日テレビで卓球のロンドンオリンピックに選ばれた石川選手と洋弓の銀メダリスト山本選手のインタビューでの話が思い浮かびました。
「楽しいまま終わったら表彰台にいましたというストーリーがいい」
なぜか今回の実習生には、アスリートの精悍さを感じるのです。
2012.4.12
東京は20度を超えるという朝の天気予報でしたが、出張先の仙台の最高気温予報は15度。一旦手放したコートを羽織って出かけることにしました。既に実習生を受け入れている企業様のご紹介で酪農家を訪問するためです。
事務所代わりに使用しているログハウスに通されて、1年前の震災の話になりました。ちょうど2トントラックで移動中で、目の前の大型トラックが宙に浮いたり、自家用車から降りた人が路肩のコンクリートにしがみついていたり、道路わきのビルが左右に大きく揺れてぶつかりそうになっているところを目撃したそうです。まるで映画に出てくるワンシーンが現実の世界に展開していたのです。
そのとき車のラジオから流れてきた言葉が、この社長さんを動かしました。「ご近所にお年寄りがいたら助けましょう。」
その日は水道も電気も止まりましたが、幸いにしてこの酪農家には、自家発電設備も井戸もありましたので、近所のお年寄り宅を一軒一軒回って、ビニールハウスに作った特設宿泊所に避難するように誘いました。さらに、乳を搾っても引き取り業者が来ないので捨てるしかありませんから、無料で牛乳を振る舞い、次の日からは表に看板も出して、来る人たちに牛乳を差し上げました。
およそ30人のお年寄りがしばらくビニールハウスで過ごしました。ペットボトルを持って牛乳を引き取りに来る人たちも日毎に増えました。
そんな時ある若者が臨月を迎えた妻のために牛乳を分けてくれるように頼みに来ました。差し出したペットボトルが500ミリリットルだったので、こんな少なくていいのかと聞くと、リュックから2リットルボトルをふたつだして持ち帰っていったそうです。その後も数回来たそうですが家族が応対して、実際に会ったのはこの一回きりでした。しかし、数か月後のある日のこと携帯電話が鳴って出てみると、その時の若者でした。無事男の子を授かったことを報告してくれました。
国産の藁の飼料を使用していたそうですから、かなりの打撃を受けたはずですが、そんな話は一切なく暖かい話だけが披露されました。なかなか厳しい経営環境にあり、実習生を受け入れるためにはいくつかの追加書類が必要になるかもしれません。
しかし、10年来地元の小学生を対象に年間800人ほどの子供たちに、搾乳体験教室を無料で開催したり、農学部の大学生を研修生として定期的に受け入れたり、学生たちがやる気さえあれば50年の経験と技術を惜しげもなく提供したいという姿勢こそが、実習生を受け入れるために本当に必要なことではないでしょうか。
こうした常日頃の行いが、震災のときに多くの人々を助けることに繋がりました。そして、3年前に入退院を繰り返した末に亡くなられたお父様のことも、社長様を後押ししたのかもしれません。
心の底から湧き出る暖かな気持ちが全身を覆い、必要のなくなったコートを片手に帰路につきました。
2011.12.1
新しい送り出し機関の訓練センターを見てきました。
もう何回も経験のあることなので、正直言ってさほど期待していませんでした。
しかし、最初のクラスのドアを開けてその思いは一変しました。キラキラ輝いたたくさんの目が飛び込んできたのです。
200人ほど収容できる寮を併設して、現在3クラス70人ほどが講習を受けていました。たぶん訪問者が多いのでしょうか、事前に設定されたような特別カリキュラムが始まりました。
ゲームやダンスを取り入れたアクティブな授業に面喰いましたが、自分も参加させられて自然に楽しいと感じました。
特に、二人一組で先生が見せる日本語の単語について、片方の生徒がジェスチャーで伝えて、もう一方の生徒がそれを当てるというゲームは、五感を通じて楽しみながら単語を覚える点では気分転換にもなる優れものです。
三クラスそれぞれの趣向を凝らした授業を拝見したあと、突然総経理に、日本への入国前の心構えについて話してほしいと言われました。感動をもらったお礼にと二つ返事で了解したものの何を話そうか考えていると、もう他の二クラスの生徒たちがイスを持って集まってきました。
そうだ5Sについて話そう。1ヶ月ほど前に別の送り出し機関のスタッフ向けに行ったセミナーの要点だけを身振り手振りを混じえて、黒板も使ってわかりやすく話しました。
ポイントは、言われたままではなく心で理解して行動しながら身につけること、そしてしなければならないのではなくしたいものにするということです。そのような心がけをひとりひとりが持ってつながれば、チームとして大きな力になります。
目をキラキラ輝かせた最高の聴衆を前にして気持ちよく話すことができました。反応も上々でここにもファンクラブを作ることができたかもしれません。
ところで数年前は、実習生でメガネをかけている子は皆無だったのですが、今回はメガネをかけている子がたくさんいました。総経理によると、パソコンやゲームの普及によるものだそうです。時代が確実に動いていることを感じました。
2011.11.19
通常総会が終了しました。組合員の皆様にはご協力いただきましてありがとうございました。その後行いました恒例のNLPセミナー、今回は「外国人とのコミュニケーション」について話しました。外国人技能実習生事業の経験を活かしてたくさんの写真を準備しました。パソコンがフリーズしてその半分もお見せできなかったのが残念でしたが、プロジェクターで大きく映し出された一枚の写真についてお話しします。
講演後の懇親会で今回初めておいでになった方が、面接後の家庭訪問で撮った写真のある一カ所に注目されました。
その写真は、家の前で家族と企業の社長とが並んで写っています。
ある一か所とは手です。一列に並んだ10人はそれぞれ腕を組んだりしていますが、唯一実習生とお母さんの手だけが握られて写っています。
この方によると、自分は韓国人で自分も同じような思いで国を後にして日本に来た時のことを思い出したそうです。今では優秀な経営コンサルタントになっていらっしゃる方にもスタートの時があったのです。そして家族との絆はそれを強く後押したようです。
2011.9.7
今年で七年目になる企業様で、入国後一か月講習の修了式がありました。
いつものように各人にスピーチと作文による成果発表をしてもらいました。
「私の家族」と「私の夢」がテーマです。
初めて面接で中国に行ったとき、候補者の自己紹介で聞いたお父さんの年齢と、面接官である社長と専務そして私の年齢とさほど大きな差はないなと思ったのを覚えています。
しかし今回、彼女たちのお父さんの年齢は、40歳前後でびっくりしました。実習生と私たちの年齢関係が、お父さんからその次になりつつあるのを聞いて、時の流れの速さを改めて実感しました。
さて、ある実習生の作文で興味深い言葉を披露してくれました。
「盟友多了路好走」
“友達が多ければやりたいことがうまくいく”という意味だそうです。
彼女達の夢の実現に、一緒に入国した15名は、どんなに素晴らしい力になってくれることでしょうか。