理事長の感動日記 その11

3年後の夢、叶ってます!

2020.10.15 

総菜職種の実習生の2号修了式に招待されて行ってきました。

監理団体の祝辞を仰せつかって、さあ、我組合独自の入国後講習テーマ・「私の夢」のチェックの時間です。 

 

入国当時の資料を取り出して読み上げます。

「チャさんは、フィリピン料理のレストラン」

「ラブさんは、日本料理のレストラン」

「リーダーのキーさんは、豚の丸焼き・・・?」 

彼女の実習生代表のことばは、素晴らしかったです。

工場現場でお世話になった実習指導員のお名前をひとり一人挙げて感謝していました。

新任の総務課長も忘れずに・・心がこもっていました。

 

式の後に写真撮影をしていると、その彼女がニコニコしながら近づいてきて、

「豚の丸焼きレストラン、二人の兄がもう始めてます!」 

 

一番うれしいひと時です。

蜂の巣駆除終了しました。

2020.9.30 

長崎の介護実習生からの報告です。

報告を受けたベトナム人通訳者は、ケラケラ笑っているばかりですが、施設側は大慌てです。

 

休みだった実習生が、邪魔になるからと自転車通勤用の雨合羽に眼鏡とマスク着用で寮の窓下の蜂の巣控除に挑みました。

 

 

万が一刺されて熱でも出たらたいへん!

明日の仕事にも差し障るので、組合から厳しく指導をしたところ、早速、お詫びのメールが施設に届いたとのこと。

 

「一昔前ならこの土地でもそんなに特別なことではありませんでしたが、最近は・・・」

「人を疑わず素朴で働き者の実習生には、こちら側も教わることが多いです。」

とは施設理事長談。

 

古き良き地域との共生は、すでに実習生自らによって行われています。

自殺者の数

2020. 9. 27

今日、ある有名人が自らの命を絶ちました。

2ヶ月ほど前にも同じようなことがあってあまりにも突然なことでショックです。

 

警視庁の自殺統計によると、国内の年間の自殺者は1997年までは長年2万人台で推移してきましたが、1998年から3万人を超え、2003年には最多の3万4427人になりました。

その後、景気回復や、SNSでの相談対応の強化などによって、12年に3万人を割った以降は減少し、昨年は2万169人となっています。

それでも、一時間に2.3人が自殺していることになります。

 

一方、技能実習生においては、2012年から17年の6年間の死亡者は171人、そのうち自殺者は17人と法務省の調査結果にあります。

参考までに、在留技能実習生の総数は、2012年で約15万人17年で約27万人となっています。

今後は、さらに特定技能外国人の入国も増えてきます。

SNSを使って悪い情報も入ってきますが、最悪の決断を思いとどまらせる手段にも活用できるように対策が急務です。

 

因みに、今回の自殺報道の末尾には、どれにも以下のような添え書きがあります。

 

 悩みを抱えている方はご相談を

「こころの健康相談統一ダイヤル(0570-064-556)」

「いのちの電話(0570-783-556)」

家族会議

2019. 9. 8

企業様に配属後、夢を見失って悪い誘いに走る実習生が現れてきました。
常々、送出し機関には実習生に家族と緊密な関係を維持していただくようにお願いしておりますが、今回は、入国前の実習生の家族にも集まっていただき、家族会議を行いました。

子供を連れてきた実習生もいますが、何か気がつきませんか!?
やっぱり顔が似ていますね。
お父さんお母さんが来れないところは、お兄さんやおばあちゃんが来ているところもあります。
お兄さんかと思ったら、お父さんだったところもあります。
もうこれだけで来ていただいた価値があります。 

集まっていただいて、まず黒板に「夢」と書きました。将来に役立てる技術を学んで、
企業化する夢
両親に家を建ててあげる夢
子供に十分な教育を与える夢
様々な夢をもって日本にやってきます。
家族を背負って…。 

お互いに一体になっていると感じているとき、簡単にその輪から脱することはしないと思いたいです。
迷える羊がいるならば、オオカミから守りたいです。

和える

2019. 7. 9

そう菜製造職種の基礎級試験に「和える」という言葉があります。

言わずもがなですが、違った種類の食材をいくつか混ぜてひとつの料理を完成させるときなどに使います。おそらく個々の食材の旨味が絶妙のバランスを醸し出したときに、最高の料理になるのでしょう。

 最近、実習生を管理する上で、一筋縄ではいかないこともあります。

「どうしたらわかってもらえるだろうか」

「なぜこんなことをするのだろうか」

 「和して同ぜず」という言葉もありますが、もっと個々のニーズに焦点を移した時に、自ずと和が生まれるのかも知れません。

インドの暑さ

2019. 6. 6

 新しい送り出し国開拓のためにインドに来ました。

まさに体を刺すような日差しです。やむを得ず、黒い雨傘を日傘代りにしたのですが、もっと暑くなってしまいました。

 

なぜ でしょう。

 

多分、天からの日差しは避けたつもりが、地面からの照り返しが傘の中にこもってしまいました。サウナの中で歩いているようです。道端の犬たちも木陰で死んだように眠っています。

ガイドさんによると、来月7月の雨季と重なる暑さがインド人にとって最も厄介な暑さだそうです。

 

今日でもデリーは45度なのに!? 

 

自分の体温より高い気温は、異常です。出身地によっても気温差があるようですが、確かに暑さに強い実習生が集るかも知れません。

同じ釜の飯を食う

2019.3.14 

入国前の実習生を励ましに、送り出し機関の講習センターにやってまいりました。

いつもならば、それじゃがんばってと帰るところですが、夕食に誘われました。

魚料理、ゆで野菜、卵焼き、スープと白飯、定番の寮飯です。

みんなでわいわいがやがやしながら食べると、特別料理になります。

よく見てください。ね。魚の骨しか残っていないでしょ。

食材豊富なベトナム

2019.3.11

ハノイ中心街の八百屋さんと果物屋さんです。
所狭しと歩道まで野菜が覆い尽くしています。
たくさんの食材からバランスよく栄養を補給できているからか、ベトナム人でかつては太っている人をほとんど見かけませんでした。
アトピー性皮膚炎を患っている実習生もいません。

息子が幼少のころにアトピーで苦労した経験があります。
中国人の漢方の先生にかかってから回復に向かいました。
その女医さん曰く、
「日本は島国で種が少なく、栄養が偏っているのがひとつの原因」とおっしゃっていました。
また、「ステロイド系で一時的に皮膚の表面がよくなったように見えるが、病巣が奥に閉じ込められただけで、いずれはまた表に出てくる」と、そして「時間はかかるが病根を外に出すことが根本的な治療になる」とも。

ベトナムは、大陸からの栄養分をメコン川から取り入れて、肥沃は土地を頂き、豊かな自然の恵みの恩恵を被っています。

何かと教えるばかりでなく、大自然の恵みを授かったベトナムの国から学ぶことは、これから増えてくるかもしれません。

ながら食事

2019.3.10

何々しながら他のことをすることが、如何に多いことでしょうか。
特に新聞を読みながら食事をするとか、
スマホをいじりながら食事をするとかです。

大切な自分の体に投入するものをよく吟味しながら、よく味わいながら、食べることは至極当然のことですが、なかなかできません。
ながらが体に染み付いてしまっていることに驚かされます。

 実習生に健康管理の一環として食事管理も教えています。何を食べているのか、ランチタイムを覗いてみると、ご飯と一品が多いです。経済的なこともあるのですが、もっと野菜を食べるように指導しています。

 彼らのお父さんお母さんの年齢は45才ぐらいから50才ぐらいで、内臓疾患で入院したり、お亡くなりになる方が多いです。糖尿病、腎臓病、肝臓病などです。

統計をとったわけではありませんが、フィリピン人の場合には糖尿病、ベトナム人の場合には腎臓病が多いような気がします。

おそらく前者は、米と果物と甘味の、そして後者は、ヌクマム(魚醤)と塩の過剰摂取が原因と思われます。

 昔は日本でも家族で食事をする時に、静かに食べなさいとたしなめられたようですが、食べ物に対する敬意と食事が与えられたことへの感謝の気持ちを持って頂くためにも、食事に集中することは必要です。

まずは、自分がスマホを置いてから教えます。 

インド・インパールの平和記念碑を訪れました

2018.12.6

このインド北西部から介護技能実習生を受入れることを目的として視察に来ました。
1944年に起こったインパール作戦は、早くから日本軍の拠点となっていたビルマ地域を守ることが目的だったそうですが、膨大な犠牲者を払って中止されました。
参加人数約10万人のうち、戦死者3万人、戦傷・戦病で後送された者2万人。
残存兵力5万のうち半数以上も罹患していたといいます。
敵をおとしめるために集められた兵士たちのほとんどは、戦いで死んだのではなくて、病死や餓死であったと聞きます。

東京からインパールまで直線距離で4,500km、当時の日本人のどこにこれほどのエネルギーがあったのか驚かされるとともに、愚かなリーダーシップのもとに、尊い若者の命が、むなしく散っていったことを思うといたたまれない思いにもかられました。

17年前の実習生との再会

2018.10.27

2001年に入国して2004年に帰国した実習生(当時は研修生)が、面接で滞在中のハノイのホテルに来てくれました。

最近、ラインで交信していたので、彼の成長ぶりはある程度は把握していましたが、想像以上でした。

彼は、私が初めから担当した第一号の実習生として思い出深い人です。彼は、電子機器組立ての実習を受けるために山梨県の工場に配属された5人のうちの1人でした。彼らはハノイでも優秀な大学卒で将来有望な好青年たちでした。

10年前ぐらいに一回だけ、5人全員が集合してディスコで騒いだことがあります。そこに行くバイクの後ろで、寿命の縮む思いをしたことを覚えています。その後、彼は日系企業を転職し、スキルアップを重ねて、今はロボットメーカーでセールスマネージャーをしています。

その日、中古ですがトヨタカムリで迎えに来てくれました。住まいはマンションではなくアパートだと言っていましたが、2007年から4回に渡って売買を繰り返し、その都度、レベルアップして現在は110㎡のうちに住んでいます。

彼の自慢は、スケルトンで買って内装を1年がかりで全部自分で仕上げたことです。テラス窓の拡張、大型ガラスの搬入、手作りのベッドやソファー、キッチンや収納スペースの開き戸、内壁の大理石貼り、洒落た照明などプロ顔負けの出来栄えです。さらに、これら自分の部屋だけでなく、エレベーターホールの共有スペースを、同階の住民と一緒にホテルのように大理石貼りにし、皆を驚かせました。お陰でたくさんの人々から信頼され、住民同士の強い絆が生まれたそうです。

「仕事は順調ですか」

『とても楽しいです』
「奥さんは?」
『とっても優しいです』

2009年に結婚して、彼女はアパート近くの大学で教鞭をとっています。タイ語と英語が得意な才女と聞きました。

「子供は?」
『とっても可愛いです』
8歳ともうすぐ2歳になる女の子がいます。
ワー!
素晴らしい!羨ましい!
それ以上に本当に嬉しい!

空港まで車で送ってくれました。別れ際に、
『今度会うときは、ゆっくり家内の手料理をご馳走します』と、
「わー!楽しみー!」
そして、
『次来るときはどんな時間でも迎えにいきます』と、

『あのときお世話になったから』

・・・・・。

ありがとう、感謝の気持ちで胸がいっぱいになりながら帰国の途につきました。

追伸;
ホテルのロビーで、「日本にいる時に、何を一番学んだか」と聞いたところ、『チャンと考えてからやること』だと言っていました。一方、帰りの車の中では、『最近の日本の企業は、実行することが遅くなっている』とも言っていました。

チームひまわり!

2017.10.14

昨日入国した惣菜実習生12名の特別授業を受け持ちました。
まず、このチームの特徴について聞いていきました。
おもしろい、から始まってだんけつ(団結)・・・
たすけあう、そうだんする、はなしあう、おせわをする・・・
うたがうまい、ダンスが・・

そして、

この素晴らしいチームによって、
「なにができるとおもいますか?」「なにをしたいですか?」

彼女たちの答えは、
自分たちの作った惣菜(野菜サラダ、サンドイッチ、スパゲティ)を
お客様が見て、「あー食べたい」と言ってくれるような”きれい”で、
実際に食べたら「おいしい」と言ってくれて、安全な惣菜を
作りたい、でした。

そして、

この素晴らしいチームに名前をつけるとしたら?

チーム『ひまわり』が誕生しました!